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壬生界隈
壬生トップ 壬生寺 光縁寺他 八木邸他
住所:中京区壬生梛ノ宮町24
見学時間:9:00〜17:00
(季節により変更の場合あり)
見学料金:¥1.000−(抹茶・屯所餅付き)

■新選組石碑

■八木邸門

■近藤勇像

■屯所餅


重厚な構えの長屋門の前に、新選組遺蹟の石碑が建ち、誠の旗がはためく。ここが新選組発祥の地となった八木邸だ。

門前には、隊士が水を飲んだという井戸や、隊士が腰掛けたと称される石の案内板もあって面白い。
大河ドラマの舞台になっていることもあって、休日ともなると行列ができるほどの賑わいだ。

文久3(1863)年2月、江戸から来た浪士組は壬生に入り、近藤勇・芹沢鴨らがここ八木源之丞宅を宿舎とした。
以来慶応元年、西本願寺に移るまで隊士達が宿舎とし、移転の後も隊士は懐かしがってがって度々遊びに来たそうだ。

内部はガイドさんが案内して下さる。
玄関を上がると番所三つ道具と言われる魔除けの道具が架けてある。仏間への入り口は刀を振り回せないようにわざと低くしているそうだ。

文久3年9月16日夜、局長芹沢鴨、妾お梅、平山五郎が、就寝中刺客(土方、山南、沖田、原田?)に暗殺された。

入ってすぐの仏間に寝ていた平山がまず犠牲となり、次に奥の床の間にいた芹沢鴨とお梅が襲われた。芹沢は床の間に架けてあった脇差しで応戦したが、隣の部屋で転んだところを斬りつけられ、絶命したという。

縁側沿いの部屋の鴨居にはこの時斬りつけられたと言われる刀傷が残っている。芹沢がつまづいたと言われる文机もさり気なく置いてある。
座敷には、近藤勇像が置いてある。
ケヤキの一木造りで四角張った近藤の特徴をよく捉えている。
芹沢の殺された部屋で近藤が睨みを利かせているとは、何とも皮肉なものだ。

縁側からは緑が美しい中庭が見える。新選組のいたころは縁側から二条城が見渡せたそうだ。
土間にある広い台所も見学できる。

館内は写真撮影は禁止(近藤勇像だけはOK)だが、絵はがき(\800-)が販売されている。その中の1枚に八木家のお通夜の時に書かれた「野辺帖」(芳名録)があった。近藤勇、沖田総司、斎藤一らが署名をしている。この時、局長の芹沢鴨と近藤勇が受付を買って出たという。芹沢と近藤が並んで受付をしたのは魔よけの道具が飾ってある入り口の間だ。

屯所内の見学を終えたら、八木家が経営する隣の茶房・鶴壽庵で一服しよう。屯所餅とお抹茶がセットで楽しめる。屯所餅は壬生菜を刻んで皮に混ぜてある大福。餡は丹波大納言を使っている。餅の柔らかさと壬生菜のシャキシャキ感のコントラストがたまらない。

隣の京菓子司・ 京都鶴屋で売っているので壬生土産に最適。新選組ファンには「誠最中」、壬生狂言帰りには、炮烙を型取ったどら焼き「壬生炮烙」もおすすめ。
新選組グッズも豊富にある。

 
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住所:中京区壬生賀陽御所町48
内部非公開

新徳禅寺と表札を出す白木の門の寺。
ここが文久3(1863)年2月、江戸から上洛した浪士隊が本陣とした 新徳寺だ。
浪士隊の長・清河八郎は、夜、総勢234名全員を新徳寺に集め、尊皇攘夷の大演説を行った。将軍警護の目的で上洛したのに、おかしい。
早々に江戸に戻ることになった清河らに反して、芹沢鴨・近藤勇ら13人は京都に残ることに決めた。

新徳寺の本堂は当時とほとんど変わっていないそうだ。
こぢんまりしているが、200名以上の浪士達は本堂に納まりきれたのだろうか?庭や道に浪士達が溢れかえっていたかもしれない。

本堂には住職が描かれた近藤勇と土方歳三と清河八郎の絵が飾ってある。
内部は残念ながら非公開。外観を眺めるだけで当時の様子を想像してみよう。

 
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住所:中京区壬生梛ノ宮町25-2
アクセス:阪急大宮・京福四条大宮駅より徒歩9分

新選組の屯所といえば、八木邸と前川邸の名前が挙げられるが、他の壬生の郷士の家にも隊士達は分宿していた。
南部亀二郎邸もその一つ。
新見錦と糟谷新五郎らはここに泊まっていた。

南部邸は、今は八木邸の隣の駐車場から新選組御用達の土産物店・京屋忠兵衛にかけての辺りにあったと言われている。

京屋忠兵衛とは、新選組の大坂での定宿の名前。
京都新選組同好会の隊士の方が経営されている。
店内には羽織、鉢金、刀、高下駄など、本格的な新選組グッズがずらり!書籍類や絵葉書、古地図なども売られている。

 
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