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旧前川邸
前川トップ 山南自刃の間他 野口自刃の間他 蔵 見取り図
出窓
■外観
内部
■野口健司自刃の間
野口・墓
■野口の墓(壬生寺)
 

野口健司自刃の間
前川邸の通りに面した出格子窓の部屋。
山南明里の窓越しの別れのエピソードから山南自刃の間と勘違いされることもあるが、ここは芹沢派最後の一人野口健司の自刃の間だ。
今なお薄暗い四畳半の間。
邸内で一番雰囲気のある場所かもしれない。

野口健司は神道無念流目録保持者で副長助勤。
天保十四年水戸生まれの二十歳。
文久三年九月に芹沢派が粛正されてからも隊務を続けていたが、この年の暮れに切腹させられた。理由は近江国の中羽田村の村騒動の責任を取らされたとも言われるが、恐らく濡れ衣だろう。
文久三年十二月二十七日、芹沢派最後のひとり野口健司はこの部屋で自刃し、若干二十歳の若い命を散らした。
野口を介錯した安藤早太郎が、その手を洗わずに八木家の餅つきに参加したという逸話も残る。
その安藤も翌年死亡し壬生寺では野口と同じ墓に葬られているのは運命の皮肉か?なお、野口自刃の間は、現在は子供の勉強部屋として使われているという。
 
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長屋門
■長屋門
長屋門・正面
■長屋門・正面
出窓の刀傷
■出窓の刀傷
土間
■土間
複雑な家系図
■複雑な家系図
前川邸・玄関
○長屋門

前川邸の当時の面影を残す風格のある長屋門。
隊士達はこの門をくぐって屯所に出入りした。
誠の隊旗を門前で振り回す隊士もいたという。

文久3年9月26日、原田左之助がこの門の前で長州の間者・楠小十郎を殺害。死体は、門前の水菜畑に血だらけで倒れていた。

門の西側にある出窓の部屋が野口健司自刃の間。
門の東側にも屯所になった後に出窓が作られた。
今は取り外されているが、その出格子には二太刀の刀傷が残されている。

壬生に分宿していた隊士達を呼び集める時は、長屋門の西側の角に立って、拍子木を打ち鳴らすのが習慣だった。


○土間

玄関をくぐって土間に入る。天井がとても高いのが印象的だ。
人を乗せた馬四頭が並んだまま裏庭に抜けられるほど広く、一隅は炊事場になっていたという。新選組は、雨の日はこの土間で剣術の稽古をしたこともあったとか。
土日祝日にはこの土間までが一般に公開され、前川邸の絵葉書や新選組関連のお土産、書籍などが販売されている。
壁には前川家の複雑な家系図、前川邸の写真、映画の撮影で使われた時のパネル(草苅正雄さんの沖田総司)などが展示されている。
現在お住まいの田野さんのご家族の親切な応対が嬉しい。マナーを守ってご見学を.
 
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