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2006年05月30日
沖田総司死す。/ 明治元(1869)年5月30日

明治元(1869)年5月30日、、新選組幹部の沖田総司が持病の肺結核のため千駄ヶ谷で亡くなりました。享年27歳。白河藩士の子に生まれましたが、2歳の時父と死に別れ、姉が家督を継ぎました。
総司は近藤勇の養父・周斎の内弟子となり、試衛館で天然理心流を学び塾頭を務めました。
近藤らと上洛後、池田屋事件などで卓越した剣の腕前を見せ、新選組では一番隊の組長を務めましたが、喀血し倒れ、最近は病の床に伏せていました。
墓は元麻布の専称寺。
写真は沖田が京都時代子供達と遊んでいた壬生寺の境内です。
===5/31のその他の出来事===
★1925年、中国で5・30事件
<命日>
★太宰春台(儒学者・1747没)
★片山哲(政治家・1978年没)
2006年05月29日
京都市営地下鉄烏丸線開業。/ 昭和56(1981)年5月29日

昭和56年5月29日、京都市営地下鉄烏丸線北大路から京都間約6.5kmが開業しました。昭和49年の起工式から開業まで実に6年6ヶ月の月日がかかりました。これによって京都は新しい交通体系への第1歩を踏み出したのです。
平成2年10月には北大路~北山駅間)が相次いで開通し烏丸線の当初計画区間全てが完成しました。また平成9年6月には北山~国際会館間が開通、同年10月12日には市営地下鉄東西線(二条~醍醐間)も開業、京都市を東西南北に横断する鉄道が完成しました。
===5/29のその他の出来事===
★昭和17(1942)年、与謝野晶子死す。
2006年05月28日
在原業平死す。 / 元慶4(880)年5月28日

元慶4年5月28日、美男として知られ、数多くの優美な歌を詠んだ在原業平が亡くなりました。享年56歳。業平は平城天皇の孫に当たり、826年臣籍に降下。和歌の才能により、女性や不遇の皇族らから風流人として人気がありました。
晩年に業平が住んだと言われる大原野の十輪寺では、毎年5月28日、業平忌が行われます。写真は、業平終焉の地・十輪寺にある業平の墓です。
===5/28のその他の出来事===
★建久4(1193)年、曽我兄弟、工藤祐経を討つ。
★享保18(1788)年、隅田川の花火の始まり。
★文久元(1861)年、水戸浪士、英国公使館を襲撃
2006年05月27日
『小倉百人一首』、完成。/ 文暦2(1235)年5月27日
文暦2年5月27日、藤原定家が小倉山の山荘で選んでいた百人一首が完成しました。定家は僧蓮生(俗名・宇都宮頼綱)から山荘の障子に飾る色紙への染筆の依頼を受け、飛鳥時代の天智天皇、持統天皇から鎌倉時代の後鳥羽院、順徳院まで百人の和歌を1首ずつ選びました。
写真は僧蓮生の中院山荘跡の案内板です。
===5/27のその他の出来事===
★天平15(743)年、墾田永年私財法、公布。
★宝亀3(772)年、他戸親王、皇太子を廃される。
★文永9(1273)年、7代執権北条政村死す。
2006年05月26日
木戸孝允、逝く。/ 明治10(1877)年5月26日

明治10年5月26日、明治維新の立役者・木戸孝允(桂小五郎)が病死しました。幕末は討幕運動を指導するかたわら、池田屋事件では危機一髪で命拾いするなど「逃げの小五郎」として有名でした。
維新後は藩籍奉還、廃藩置県など新体制作りを推進。西郷、大久保と並び、「維新の三傑」と称されました。西南戦争を憂い、「西郷、もういいではないか」が最期の言葉だったといいます。享年45歳。
写真は木戸孝允終焉の地、京都・石長松菊園門前の石碑です。
===5/26のその他の出来事===
★治承4(1180)年、源頼政、宇治川で戦死。以仁王、平氏に殺害される。
★応仁元(1427)年、応仁の乱、始まる。
★嘉永7(1854)年、日米和親条約に下田条約を追加。
2006年05月25日
楠正成、湊川に死す。/ 建武3(1336)年5月25日
建武3年5月25日、死を決意して出陣していた楠正成は、湊川で足利尊氏の大軍に囲まれた。後醍醐天皇を比叡山に移し、京都に足利軍を引き入れる計画も却下され、五十万の大軍に囲まれた正成は、もはやこれまでと観念し、弟の正季と刺し違えて絶命。一族と従者達約60名も後を追って自刃した。
===5/25のその他の出来事===
★嘉応2(1170)年、藤原秀衡、鎮守府将軍に。
★明治43(1910)年、大逆事件の大検挙、始まる。
2006年05月24日
源義経、腰越状で潔白を主張/文治元(1185)年5月24日

文治元(1185)年、5月24日、源義経は無断での任官を怒り、鎌倉入りを認めない異母兄頼朝への弁明のため、公文所別当・大江広元あてに腰越状を送りました。
この書状には源氏再興のために働いたこと、頼朝への忠誠心などが綴られていました。
しかし、願いは通じず、義経は京都に引き返すことになりました。
写真は義経の京都の館跡・左女ケ井跡碑です。
===5/24、その他の出来事===
★699年、役小角、流罪になる
★1651年、大奥女中、大量解雇
<命日>
★ルイスフロイス(宣教師・1597年没)
★伊達政宗(戦国大名・1636年没)
2006年05月23日
坂上田村麻呂、死す。/ 弘仁2(811)年5月23日

弘仁2年5月23日、胆沢城・志波城を築いて、蝦夷地平定に大きな功績をを残した征夷大将軍・坂上田村麻呂が亡くなりました。享年55歳。勇猛でありながら温厚で誠実な将軍だった。
===5/23のその他の出来事===
★ 慶長20(1615)年、豊臣秀頼の嫡子、国松斬首。
★ 元禄8(1695)年、徳川綱吉、巨大な犬小屋を設置。
2006年05月22日
鎌倉幕府、滅亡。/ 元弘3(1333)年5月22日

元弘3年5月22日、討幕軍の新田義貞らは鎌倉に火を放ち、小町の鎌倉執権館に迫りました。執権の北条高時ら一族847人は執権館裏手の東勝寺にたてこもり応戦を続けていましたが、攻撃に耐えきれず、ついに全員が自決しました。141年続いた鎌倉幕府はここに滅亡しました。
写真は、高時ら北条一族が自決した東勝寺跡です。
===5/22のその他の出来事===
★天正14(1586)年、蜂須賀小六、死去。
★文化8(1811)年、最後の朝鮮通信使を対馬で応対。
2006年05月21日
頼山陽、『日本外史』を献呈。/文政10(1827)年5月21日

文政10年、5月21日、儒学者で詩人の頼山陽が著作の『日本外史』を元老中の松平定信に献呈しました。『日本外史』は二十二巻からなる漢文体の歴史書で、源平から徳川までの武家の興亡が中心に朱子学的立場を交えながら書かれています。新選組局長近藤勇の愛読書でもありました。
写真は京都長楽寺にある頼山陽の墓です。
===5/21のその他の出来事===
★養老4(720)年、『日本書紀』完成。
★天正3(1675)年、織田鉄砲隊、長篠の戦いに勝利。
★明治2(1869)京都で日本初の小学校開校。
2006年05月20日
蘇我馬子死亡、蝦夷が大臣となる/626年5月20日

626年5月20日、大臣・蘇我馬子が死亡しました。
馬子は、娘を素峻天皇や聖徳太子らに嫁がせ、皇族との縁戚関係を強めて蘇我氏の権力を固めました。又、仏教を利用して廃仏派の物部氏を滅ぼし、朝廷における主導権を獲得しました。
馬子の代わりに、大臣には長男の蝦夷が就任しました。
写真は、蘇我馬子の墓の石室とも言われる石舞台古墳です。
===5/20、その他の出来事===
★757年、藤原仲麻呂、養老律令を施行
★863年、神泉苑で御霊会開催
★941年、瀬戸内の海賊頭・藤原純友、敗走
★929年、藤原秀郷の乱
★993年、故菅原道真に左大臣を追捕
★1467年、細川、山名両陣営、集結
<命日>
★日野富子(足利義政妻・1496年没)
★前田利長(2代加賀藩主・1614年没)
<誕生日>
★王貞治(野球監督・1940年生)
2006年05月19日
宮本武蔵、肥後に死す。/正保2(1645)年5月19日

佐々木小次郎との巌流島の戦いで有名な剣豪の宮本武蔵が、正保2年、5月19日、肥後で病死した。享年62歳。巌流島の戦いの後、武蔵は大坂の陣、島原の乱にも出陣。熊本藩主の招きに応じ、肥後で『五輪書』、『兵法三十五ケ条』などの兵法書を著した。
写真は岡山県の武蔵生誕の地の近くにある武蔵神社の絵馬です。
===5/19のその他の出来事===
★永禄3(1560)年、織田信長、桶狭間の戦いに勝利。今川義元死す。
★永禄8(1565)年、剣豪将軍、足利義輝死す。
2006年05月18日
戊辰戦争、終わる/明治2(1869)年5月18日

明治2(1869)年5月18日、榎本武揚を中心に新政府に反抗し、箱館の五稜郭に籠城を続けていた旧幕府軍がついに降伏し、五稜郭を引き渡しました。
これにより、2年に渡って続いた戊辰戦争は終結し、明治政府は天皇中心の絶対主義国家体制への第1歩を踏み出しました。
写真は旧幕府軍の籠城していた五稜郭です。
===5/18のその他の出来事===
<命日>
★安達景盛(鎌倉時代の御家人・1248年没)
★大村純忠(キリシタン大名・1587年没)
<誕生日>
★寺尾聡(俳優・歌手・1947年生)
★槇原敬之(歌手・1969年生)
2006年05月17日
原田左之助、江戸本所で死す。/ 明治元(1868)年5月17日

新選組から分離し、彰義隊の一員として明治元年5月15日の上野戦争に参加して負傷した原田左之助は、本所の神保大和守邸運ばれ、17日に死去したとされています。しかし、原田には大陸に渡って馬賊になったという伝説も残っています。それだけ魅力的な人物だったのでしょう。
写真は原田が活躍した三条制札事件のあった三条大橋のたもとです。
===5/17のその他の出来事===
★寛永18(1641)年、出島にオランダ商館移築。
2006年05月16日
文覚上人、伊豆に流される。/ 承安3(1173)年5月16日

承安3年5月16日、荒法師として知られる文覚上人が伊豆へ配流されることが決まりました。文覚は元武士。同僚の妻に横恋慕した上、誤って殺害してしまったことがきっかけで出家し、修行に身を投じていました。空海を崇拝する文覚は空海の旧跡・神護寺の復興を願って、後白河法皇に寄進を願い出ましたが、不遜な態度が法皇の反感を買い、流罪となってしまいました。
写真は文覚が復興を願った神護寺です。
===5/16のその他の出来事===
★延暦3(784)年、桓武天皇、長岡遷都を準備。
