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2006年04月25日
近藤勇、斬首される。/明治元(1868)年4月25日

慶応4(1868)年4月25日、敗軍の将となった新選組の近藤勇は、板橋で斬首されました。享年35歳。
近藤は武蔵国多摩の生まれ。試衛館で天然理心流を学び、道場を継ぎました。門人達とと上洛し、新選組を組織し、京の治安を守りますが、鳥羽伏見の戦いに破れ、下総流山で捕らわれて、板橋で斬首されました。
近藤の首はその後、京に送られ、思い出深い三条河原に晒されました。
5年前にこの三条大橋を渡って、意気揚々と上洛した時は、まさかこの地に自分の首を晒されることになろうとは思ってもみなかったことでしょう・・・。
東京の板橋・寿徳寺(写真)では、近藤勇と新選組隊士の供養祭が行われます。
===4/25、その他の出来事===
★671年、天智天皇、漏刻で時を知らせる
★940年、藤原秀郷、平将門の首を進上
<命日>
★石橋湛山(政治家・1973年没)
<誕生日>
★鶴田真由(女優・1970年生)
2006年04月24日
柴田勝家、お市の方、自害する/天正11(1583)年4月24日
天正11(1583)年4月24日、賤ケ岳の合戦で破れた柴田勝家が、夫人・お市の方と自害しました。勝家は越前の居城・北庄城に逃げ帰っていましたが、秀吉軍に包囲さて、天守閣に火を放ち、自害しました。前年に再婚したばかりの夫人・お市の方には逃げるよう説得しましたが、お市は前夫・浅井長政との間に産まれた茶々ら3人の娘のみを逃がし、自らは死を選びました。戦の原因は信長の後継者争いともお市をめぐる争いとも言われています。
===4/24、その他の出来事===
<歴史>
★1651年、家綱就任後、大奥で大量解雇
★1863年、幕府、海軍操練所設置を決定
★1868年、土方歳三ら会津へ向かう
<命日>
★ウィリアム・アダムス(英国航海士、1620年没)
★紀伊国屋文左衛門(豪商、1734年没)
★松平治郷(出雲国松江藩主、1818年没)
<誕生日>
★山咲千里(女優、1962年生)
★大鶴義丹(俳優、1968年生)
2006年04月23日
寺田屋騒動、起こる/文久2(1862)年4月23日

文久2(1862)年4月23日、伏見の船宿・寺田屋で薩摩藩の尊攘派志士が殺害されました。粛清されたのは有馬新七、田中謙助ら7名。
関白の九条尚忠、京都所司代酒井忠義の殺害を計画して寺田屋に終結したところを、薩摩藩主の父・島津久光が藩士達の暴発を防ぐため側近の奈良原繁ら9名を寺田屋に遣わし、過激分子を排除したもの。
坂本龍馬が幕吏に狙われたところを入浴中のお竜の機転によって助かったのは舞台は同じ寺田屋ですが、4年後の慶応2年に起こった別事件です。
写真は事件の舞台の船宿・寺田屋です。
===4/23、その他の出来事===
<歴史>
★717年、朝廷、僧行基の活動を弾圧
★1342年、足利尊氏、五山の制定める
★1699年、稲生若水「庶物類纂」を加賀藩主前田綱紀に献上
★1858年、井伊直弼、大老に就任
★1862年、寺田屋で乱闘、有馬新七ら七人が死亡
★1895年、下関条約に三国干渉
<命日>
★北条時村(連署、1305年没)
★桜町天皇(1750年没)
2006年04月22日
平禅門の乱起きる/永仁元(1293)年4月22日

永仁元(1293)年4月22日、得宗の御内人・平頼綱が執権・北条貞時に屋敷を攻められ、自害しました。
頼綱は、北条時宗に重用され、妻が貞時の乳母となったことから絶大な権力を握りました。
時宗の死後は、御家人筆頭の安達泰盛を滅ぼし(霜月騒動)、恐怖政治を行いました。
しかし、息子を将軍にしようと画策したとして、成長した貞時に攻められ、自害しました。
写真は、平頼綱の別邸跡から湧き出している平左衛門の湯です。
===4/22、その他の出来事===
<歴史>
★1180年、安徳天皇即位
★1723年、江戸幕府、質屋に組合をつくらせる
★1930年、ロンドン海軍軍縮条約に調印
<誕生日>
★山県有朋(政治家、1838年生)
2006年04月21日
春の壬生狂言始まる。(4/21-29)

壬生寺で、本日から春の壬生狂言が始まります。(~29日まで)
1時から始まる「炮烙(ほうらく)割り」(写真)は2月の節分の時奉納された炮烙が狂言の中で割られ、迫力満点です。29日のみ夜の部もあり午後1時~10時までの上演です。(他の日は午後5時半まで。大人800円。)新選組も見たという春の壬生狂言を楽しんでみませんか?
===4/21、その他の出来事===
<歴史>
★1556年、朝倉義景、加賀一向一揆と和睦
★1583年、豊臣秀吉、柴田勝家を破る
★1695年、柳沢保明、六義園を造営
★1729年、天一坊、処刑される
<命日>
★元正天皇(748年没)
2006年04月20日
斎藤道三、長男・義竜との戦いで敗死/弘治2(1556)年4月20日
美濃の斎藤道三が、長男の義竜との長良川畔での戦いに破れ、死亡しました。
道三は2年前に義竜に家督を譲り隠居していましたが、意に反して家臣団からの支持を失ったのを不満とし、再起を図って挙兵しました。
しかし、道三の軍勢は約3千、義竜方は1万7千と圧倒的な差があり、道三は首を取られてしまいました。
娘婿の織田信長は、舅に加勢すべく出兵しましたが、間に合いませんでした。
===4/20、その他の出来事===
<歴史>
★923年、故菅原道真、右大臣に復職
★1250年、鎌倉で帯刀禁止令
★1720年、瓦屋根、土蔵造り許可
★1901年、日本女子大学校開校、日本初の女子専門の大学
<命日>
★徳川家光(江戸幕府3代将軍、1651年没)
★米内光政(首相、1948年没)
<誕生日>
★犬養毅(政治家、1855年生)
2006年04月19日
和宮、降嫁申入れ/万延元(1860)年4月19日
万延元(1860)年4月19日、朝幕関係悪化の修復を狙い、公武合体を目指す江戸幕府は、公式に孝明天皇の妹・和宮に将軍家茂の妻として降嫁するよう申し出ました。
家茂と和宮は同い年で、年齢的には問題はなかったものの、和宮には有栖川宮熾仁親王という許婚がいることから孝明天皇はじめ朝廷の人々は反対していました。
しかし、侍従の岩倉具視らの計らいにより、攘夷を実行するという約束と引き換えの形で、2年後に、和宮は家茂に嫁ぎました。
幸いにも夫婦仲はよかったそうですが、和宮は降嫁から5年目の慶応2年7月に家茂に先立たれる運命にありました。
===4/19、その他の出来事===
<歴史>
★1709年、新井白石、初の進講
★1860年、幕府、関白九条尚忠に和宮の降嫁申入れ
★1868年、日本初の国家紙幣発行
★1870年、明治政府、阿片を禁止
<命日>
★後冷泉天皇(1068年没)
★柳生宗厳(武将、1606年没)
2006年04月18日
醍醐天皇、『古今集』編纂の勅命を下す/延喜5(905)年4月18日
延喜5(905)年4月18日、醍醐天皇は、『万葉集』以降の和歌を選んで、新たに和歌集を編纂することを命じました。
選者となったのは、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人。二十巻の構成で春夏秋冬、賀、離別、旅、恋、儀式、哀傷歌などに分かれている。
これが日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』となりました。
===4/18、その他の出来事===
<歴史>
★1885年、伊藤博文、李鴻章、朝鮮からの撤兵を約す
★1927年、蒋介石、南京に国民政府を樹立
★1931年、明石原人の人骨化石、発見される
★1943年、山本五十六、戦死、搭乗機撃墜
<命日>
★伊能忠敬(測量家、1818年没)
★葛飾北斎(浮世絵師、1849年没)
2006年04月16日
足利義満、金閣造営に着手/応永4(1397)年

応永4(1397)年4月16日、前将軍・足利義満は京都北山に大庭園を作ることを表明しました。
将軍職を嫡子義持に譲った義満は、妻の縁戚の西園寺家から北山第を手に入れ、ここに大庭園と金箔を押した舎利殿(金閣)を造り、政治、文化の中心にする計画です。
舎利殿(金閣)は翌年完成しました。
===4/16、その他の出来事===
<歴史>
★1333年、足利高氏、京都入り
★1441年、結城城、落城する
★1614年、豊臣秀頼、方広寺の鐘鋳造
★1877年、札幌農学校の初代教頭クラーク、米国へ帰る
<命日>
★川端康成(作家、1972年没)
2006年04月14日
高杉晋作死す/慶応3(1867)年

慶応3(1867)年4月14日、長州討幕派の中心人物で、奇兵隊の創設者である高杉晋作が、肺結核のため亡くなりました。享年29歳。
晋作は、藩校明倫館・松下村塾に学び、幕府の使節と共に上海に渡り、帰国後、攘夷運動を推進しました。下関戦争で武士隊の敗北を知り、身分にとらわれず入隊できる奇兵隊を造りました。
しかし、病には勝てず、維新を目前にした慶応3年4月に短い命を終えました。
辞世は「おもしろきこともなき世をおもしろく」と上の句を晋作が作り、下の句は看病していた野村望東尼が「すみなすものは心なりけり」と続けたと言われています。
写真は萩の高杉晋作生家の入口です。
===4/14、その他の出来事===
<歴史>
★1526年、駿河守護・今川氏親『今川仮名目録』を定める
★1536年、伊達稙宗「塵芥集」制定
★1588年、豊臣秀吉、天皇を聚楽第に招待
★1689年、雨森芳洲、対馬入り
★1719年、江戸町奉行、二名に
★1947年、独占禁止法公布
<誕生日>
★今井美樹(歌手、1963年生)
★工藤静香(歌手、1970年生)
2006年04月13日
巌流島の戦。宮本武蔵、佐々木小次郎を破る/慶長17(1612)年
慶長17(1612)年4月13日、関門海峡の小島・舟島で宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われ、武蔵が勝利を収めました。
武蔵は木刀を使い、小次郎は刃渡三尺の長刀を使ったが秘剣つばめ返しを繰り出す間もなく武蔵の剣に破れました。小次郎は間もなく死亡。
舟島はこの後、小次郎の号・巌流を取って巌流島と呼ばれるようになりました。
===4/13、その他の出来事===
<歴史>
★1592年、小西行長ら釜山に上陸
★1808年、間宮林蔵、宗谷を出発
★1874年、佐賀の乱に判決下る
<命日>
★池大雅(文人画家、1723年没)
★清河八郎(志士、1863年没、享年34歳)
★後藤新平(政治家、1929年没)
<誕生日>
★藤田まこと(俳優、1933年没)
★西城秀樹(歌手、1955年生)
★萬田久子(女優、1958年生)
2006年04月12日
武田信玄死す/元亀4年(1573)年4月12日

元亀4年(1573)年、武田信玄が病死しました。信玄は、上洛を目指していましたが、病気のため甲斐へ戻る途中、信濃の伊那谷で病死(結核又は癌とも)したと言われています。享年53歳。自分の死は3年間隠すように遺言していました。
信玄は武田信虎の子として生まれ、20歳の時、暴政をふるっていた父を追放し、当主となりました。甲斐ばかりでなく、信濃、駿河、上野、飛騨、美濃、遠江、三河の一部をも領有する大大名でしたが、上洛し、天下を取るという野望はついに果たされませんでした。
信玄は領国内をよく統治し、和歌の才もあり、文武に秀でた武将だったといいます。
写真は甲府駅前の武田信玄像です。
===4/12、その他の出来事===
<歴史>
★1199年、北条時政らによる合議制が決定する
★1611年、在京諸大名、徳川家康に誓約
★1877年、東京大学が開学
2006年04月11日
徳川慶喜、水戸に隠棲。/慶応4(1868)年4月11日
慶応4(1868)年、上野寛永寺で謹慎していた前将軍・徳川慶喜が出身地である水戸に向かいました。15日に水戸へ到着。弘道館で謹慎生活を送ることになりました。
徳川家は御三卿の田安家から6歳の家達が相続していますが、今後は、一大名に格下げになります。
===4/11、その他の出来事===
<歴史>
★1586年、秀吉の妹旭姫、家康と縁組
★1682年、琉球使節、将軍綱吉に謁見
<命日>
★昭憲皇太后(明治天皇の皇后、1914年没)
<誕生日>
★加山雄三(歌手、1937年生)
★武田鉄矢(タレント、1949年生)
★森高千里(歌手、1969年生)
2006年04月10日
聖徳太子、摂政となる/593年4月10日
593年、女帝・推古天皇の即位に伴い、天皇の甥の聖徳太子が摂政となりました。女帝と蘇我馬子の要望が働いたと見られています。
摂政とは、文字通り「政を摂る」職で初めて設置されたものです。太子の起用は、内外の政治の難局に対応するために王族代表として天皇を補佐することになりました。
===4/10、その他の出来事===
<歴史>
★1194年、鎌倉街道整備進む
★1762年、平賀源内、五度めの物産展
★1874年、板垣退助、立志社設立
<誕生日>
★永六輔(タレント、1933年生)
★和田アキ子(歌手、1950年生)
★さだまさし(歌手、1952年生)
<祭り>
★桜祭(平野神社)
2006年04月09日
以仁王、平氏追討の令旨を出す/治承4(1180)年4月9日
治承4(1180)年4月9日、以仁王は源頼政の勧めにより、平家追討の令旨を出しました。
この令旨は、源義朝の弟・行家を呼び、全国に散らばる源氏ゆかりの人物(伊豆の頼朝・奥州の義経・木曽の義仲など)に伝えられました。
以仁王は、後白河法皇の第二皇子で、才も人望もありましたが、母が摂関家の出ではないので、親王宣下ならず、清盛によって、領地も没収されていました。
この令旨により、各地の源氏が挙兵しましたが、以仁王自身は平知盛らの追撃を受け、園城寺に逃れる途中、宇治で流れ矢に当たって戦士しました。
===4/9、その他の出来事===
<歴史>
★752年、東大寺蘆遮那仏、開眼供養
★1317年、文保の和談成立
★1578年、信長、右大臣辞任
★1584年、家康、羽柴軍を破る
★1890年、琵琶湖疎水が開通する
<命日>
★藤原家隆(歌人、1237年没)
★武者小路実篤(作家、1976年没)
2006年04月08日
飛鳥大仏が完成/609年4月8日

609年4月8日、飛鳥寺の本尊・釈迦如来坐像(通称・飛鳥大仏・写真)が完成しました。
この大仏は、止利仏師の作で、高さ275.2cm。鋳造仏としては、日本最古のものです。飛鳥寺は、蘇我氏の氏寺で蘇我馬子の発願。
===4/8、その他の出来事===
<歴史>
★1457年、太田道灌、江戸城を築く
★1569年、イエズス会宣教師ルイス・フロイス、織田信長に謁見
★1617年、徳川家康、日光へ改葬
★1703年、曾根崎で心中事件
<命日>
★結城秀康(松平家藩祖、1607年没)
<誕生日>
★桃井かおり(女優、1952年生)
★松本朋子(タレント、1966年生)
<祭り>
★大原野神社祭(京都)
2006年04月07日
江戸の交通事故、厳罰対象に/正徳6(1716)年4月7日
正徳6(1716)年4月7日、徳川幕府は馬や渡船の増加に伴い、これまで過失としてきた道路・河川での交通事故に厳罰で臨む決定を下しました。近年、多発していた江戸市中の事故を取り締まるため。
今後、死亡事故を起した人は、軽くても流罪に処されることとなりました。
===4/7、その他の出来事===
<歴史>
★1605年、徳川家康、秀忠に将軍職を委譲
★1866年、徳川幕府、貿易・留学のための海外渡航を許可
★1884年、賭博犯の清水次郎長に懲役7年、罰金400円の刑
<命日>
★道鏡(僧侶、772年没)
2006年04月05日
琉球王、島津氏に降伏/慶長14(1609)年

慶長14(1609)年4月5日、琉球王尚寧は首里城を薩摩島津の軍勢に明け渡しました。4月1日、島津軍が那覇港から上陸。琉球側は和睦の方針でしたが、一部が抵抗したため、島津軍により、首里城下は火の海となりました。
このため、尚寧王は、城を島津軍に明け渡し、琉球王国は徳川幕府の支配下に置かれるようになりました。
写真は平成に復元された首里城です。
===4/5、その他の出来事===
<歴史>
★1880年、集会条例制定、政府は自由民権運動に対して取り締まり強化
★1978年、仲津媛陵から修羅、発見される
<命日>
★九条兼実(公家、1207年没)
★高田屋嘉兵衛(廻船業者、1827年没)
★三好達治(詩人、1964年没)
<誕生日>
★坂東英二(タレント、1940年生)
★吉田拓郎(歌手、1946年生)
2006年04月04日
板垣退助、暴漢に襲われ、重傷/明治15(1882)年4月6日
明治15(1882)年、4月6日、自由党総理・板垣退助が岐阜で演説終了後、暴漢に襲われ、重傷を負いました。
犯人は相原という元教員で、帝政党の国家主義に心酔していたといわれています。
板垣は胸に二箇所、左右の手に各二箇所、左ほほに一箇所の傷を負いましたが、命に別状はありませんでした。
「板垣死すとも自由は死なじ!」と絶叫したと言われています。
===4/6、その他の出来事===
<歴史>
★942年、鴨川の修築が終わり小野好古らが巡検
★1742年、徳川吉宗、公事方御定書の編纂者を賞する
★1768年、江戸吉原大火で仮宅営業
<命日>
★太田南畝(文人、1823年没)
★阿比留栄三郎(新選組、1863年没)
★木戸幸一(政治家、1977年没)
<誕生日>
★小沢昭一(俳優、1929年生)
★宮沢りえ(タレント、1973年生)
北条時宗死す/弘安7(1284)年4月4日

弘安7(1284)年4月4日、鎌倉幕府8代執権・北条時宗が亡くなりました。享年34歳。
父は5代執権北条時頼。母は北条正室である重時の娘。1264年連署、68年執権となりました。
在任中は度々訪れた蒙古の使者を追い返し、2度の元寇では九州の御家人を動員してこれを退け、防備のための石塁を築きました。(写真)
又、禅を深く信仰し、宋から無学祖元を招き、円覚寺の開山としました。円覚寺では元寇の犠牲者を敵味方共に供養しています。
===4/4、その他の出来事===
<歴史>
★1510年、朝鮮で日本人が李朝政府に対して反乱
★1573年、織田信長、上京を焼く
★1721年、将軍吉宗、裁判を聴く
★1879年、琉球藩から沖縄県へ
★1890年、ラフカディオ・ハーン来日
<命日>
★藤原時平(政治家、909年没、享年39歳)
<誕生日>
★山本五十六(軍人、1884年生)
