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2006年03月24日
壇の浦の戦いで平家滅亡/元暦2(1185)年3月24日

元暦2(1185)年3月24日、長門沖合の壇ノ浦で、源義経を総帥とする源氏軍と平宗盛を総帥とする平家軍が戦い、潮の流れに乗った源氏が勝利を納めました。
栄華を誇った平家一門は祖母の二位の尼に抱かれた安徳天皇と共に、海底に沈みました。平家方では平知盛(清盛四男)、教盛、経盛(清盛異母弟)、資盛(清盛孫)らが討死、総帥の宗盛は捕えられました。安徳天皇母の徳子は救出され、後、出家しました。
写真は関門海峡にある壇ノ浦の戦いのレリーフです。
===3/24、その他の出来事===
<歴史>
★1126年、藤原清衡、中尊寺金色堂の落慶法要を行う、
★1563年、毛利元就、将軍足利義輝の命により、大友宗麟と和睦
★1784年、若年寄田沼意知、殿中で斬られて重態
★1874年、天皇の写真売買の禁令
<命日>
★石川雅望(国学者・狂歌師、1830年没)
★青木繁(画家、1911年没、享年30歳)
★梶井基次郎(作家、1932年没、享年32歳)
<誕生日>
★島田伸介(タレント、1956年生)
2006年03月23日
鎌倉大仏の建立始まる/嘉禎4(1238)年3月23日

嘉禎4(1238)年3月23日、鎌倉の深沢の里で大仏の建立が始まりました。
『吾妻鏡』によると浄光という僧の発願によるもので、費用は全国を勧進して集めたといわれています。
(真の発願者は、源頼朝とも、北条泰時とも言われていますが、真相は不明です)
この時の像は木造でしたが、4年後に暴風雨で倒壊。その後、金銅で建て直されたと言われています。当初は大仏殿がありましたが、室町時代に台風で2度倒壊し、以後は露座のままとなりました。
写真は鎌倉高徳院の大仏です。
===3/23、その他の出来事===
<歴史>
★1326年、佐々木高氏出家、導誉と号す
★1633年、徳川家光、松平信綱ら「若き年寄」に政務をとらせる
★1690年、諸家陪臣の火災時着用陣羽織の華美を禁ずる
<命日>
★山川均(社会主義者、1958年没)
★野口弥太郎(画家、1976年没)
<誕生日>
★黒澤明(映画監督、1910年生)
★北大路欣也(俳優、1943年生)
2006年03月22日
大化の薄葬令、公布される/大化2(646)3月22日
大化2(646)年、3月22日、埋葬方法を簡素に改める薄葬令が公布されました。これにより、身分によって墳墓・石室の大きさや造営に必要な人夫が制限されます。
昨年末の大化改新により、公地公民制が採用された結果、諸氏族が私民と私在を動員して行ってきた従来の私葬を改め、それに代わる方法として公布されたものです。
これにより、民衆の負担は軽減されました。
===3/22、その他の出来事===
<歴史>
★646年、埋葬方法を改める薄葬令、公布される
★1691年、徳川綱吉、柳沢保明邸を訪問
★1865年、薩摩藩士(森有礼、五代友厚ら)、英国留学に出発
★1870年、人力車、営業を開始
<誕生日>
★大橋巨泉(タレント、1934年生)
<行事>
★法隆寺会式(奈良)
2006年03月21日
和泉式部忌/京都・誠心院
平安の女流歌人・和泉式部の命日に当たる21日、和泉式部ゆかりの新京極の誠心院で和泉式部忌が行われます。
誠心院と式部とのつながりは、万寿4年(1027)、藤原道長が法成寺東北院内にあった小御堂を和泉式部に与えたのがきっかけと言われています。「誠心院」とは、和泉式部の法名「誠心院専意法尼」に由来しています。
法要の前に式部に因んだ謡曲「東北」、「誓願寺」が本堂内で奉納されます。式部ゆかりの寺宝が特別公開されます。
境内にある和泉式部の供養塔もお見逃しなく。
===3/21、その他の出来事===
<歴史>
★701年、対馬から金が献上される
★835年、真言宗の開祖、空海が高野山で入寂
★1612年、キリシタンの岡本大八、火刑に処せられる
★1621年、柳生宗矩、徳川家光に剣法を伝授し誓詞を与えられる
★1865年、新選組の沖田総司、山南敬助死去の手紙を佐藤家に送る
★1972年、高松塚古墳で採色壁画を発見
<命日>
★仁明天皇(850年没)
★堀田正睦(佐倉藩主、1864年没)
2006年03月20日
明治天皇断髪、以後男子の断髪普及する/明治6(1873)年3月20日
♪ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする♪
明治4年に「断髪の許可」が出ていましたが、実際には断髪する人は少なかったといいます。
しかし、明治6年3月20日に明治天皇が断髪してショートヘアにして以来、男子の断髪が進み、上記のような歌が流行ったとか・・・。
写真館の前は、最後の記念にちょんまげ頭を撮影しておこうと、長蛇の列ができたともいいます。
===3/20、その他の出来事===
<歴史>
★1113年、清水寺別当任命を巡って延暦寺と興福寺が強訴を繰り返す
★1189年、運慶、和田義盛のために阿弥陀三尊像等を造る
★1877年、政府軍、田原坂を占領
<命日>
★黒田孝高(武将、1604年没)
★上杉景勝(武将、1623年没)
<誕生日>
★雪村いづみ(歌手、1937年生)
★竹内まりや(歌手、1955年生)
★竹中直人(俳優、1956年生)
2006年03月19日
宗尊親王、初の皇族将軍として鎌倉下向/建長4(1252)年3月19日
建長4(1252)年3月19日、後嵯峨上皇の皇子の宗尊親王(9歳)が将軍に就任するため、鎌倉に向けて、京から出発しました。
実朝暗殺で源氏嫡流断絶後、頼朝の遠縁に当たる摂家将軍九条頼経が将軍となりましたが、長ずるに及んで、名目だけの将軍職に不満を持ち、反北条色を強めたため、将軍職を下ろされて京に追われてしまいました。将軍には頼経の息子頼継がついていましたが、執権時頼は
これも廃し、念願の皇族将軍を立てました。しかし、宗尊親王も長ずるに及び、北条氏の陰謀により、将軍職を下ろされることとなります。
宗尊将軍は、政治の実権がないことを嘆き、和歌に耽溺していきます。
虎とのみ用ゐられしは昔にて
今は鼠のあなう世の中
(将軍として虎のように恐れられていたのは昔のことで、
今は鼠が穴の中に身をひそめているような、世をはばかる身である)
宗尊親王が将軍職を追われて、京都に戻ってきた時に詠んだとされる歌です。『増鏡』
無念の思いがひしひしと伝わってきます。
===3/19、その他の出来事===
<歴史>
★667年、中大兄皇子、飛鳥から近江大津宮に遷都
★1860年、五品江戸廻し令が出される
★1891年、立憲自由党、「自由党」と改名
<命日>
★酒井忠世(老中、1636年没)
2006年03月18日
将軍徳川家斉、太政大臣となる/文政10(1827)年3月18日
文政10(1827)年3月18日、第11代将軍徳川家斉が太政大臣に任じられました。征夷大将軍との兼務は2代の秀忠以来二人目です。
家斉は御三卿のひとつ一橋家の出身。10代将軍家治の養子となり、14歳で将軍職を継ぎました。
権力者・田沼意次を排除し、白河藩主松平定信をを老中首座として、寛政の改革を行わせました。
しかし、定信失脚後、次第に田沼時代をしのぐ賄賂政治が横行し、幕府財政も逼迫しています。
===3/18、その他の出来事===
<歴史>
★1827年、将軍徳川家斉、太政大臣となる
★1886年、参謀本部条例を改正
★1965年、明治村オープン
<命日>
★吉野作造(政治学者、1933年没)
<誕生日>
★奥田瑛二(俳優、1950年生)
★豊川悦司(俳優、1962年生)
2006年03月17日
天武天皇正史の編纂を命ず。/681年3月17日

681年3月17日、天武天皇は川島皇子と忍壁皇子らに正史の編纂を命じました。
歴代天皇の事績を記す『帝記』と氏族の先祖と天皇家との関わりを記した『上古諸事』で天皇の絶対性を歴史的に位置づけるのが狙い。
この後編纂される正史の基本史料となりました。
又、記憶力抜群の舎人・稗田阿礼に正史を誦習させて歴史書を編纂する計画もあり、これは『古事記』と名づけられました。
写真は、天武・持統天皇陵です。
===3/17、その他の出来事===
<歴史>
★681年、天武天皇、正史の編纂を命ず
★960年、四天王寺焼失
★1579年、上杉家の後継争い、御館の乱起こる
★1799年、近藤重蔵を蝦夷地に再派遣
<命日>
★桓武天皇(第50代天皇、806年没)
★井上毅(法制家、1895年没)
2006年03月16日
新政府、五榜の掲示を出す/慶応4(1868)年3月16日
慶応4(1868)年3月16日、明治新政府は旧幕府の高札を撤去し、五傍の掲示をするように命令しました。
内容は、五倫の道を守ること、徒党や強訴、逃散の禁止、切支丹の禁止が永年掲示で、外国人に危害を加えないことと、国外脱出の禁止が覚書。
新政府が発した民衆に対する最初の政策となりましたが、旧幕府とほとんど変わらない内容でした。民衆に対し、権力が天皇に移ったことをアピールする意図なのが明白でした。
===3/16、その他の出来事===
<歴史>
★1017年、藤原頼道、摂政就任
★1600年、オランダ船リーフデ号漂着、徳川家康、大坂回航を命令
★1690年、金沢で大火発生、六千六百戸以上焼失
<命日>
★松平信綱(川越藩主、1662年没)
2006年03月15日
豊臣秀吉、醍醐で花見を行う/慶長3(1598)年3月15日

慶長3(1598)年3月15日、豊臣秀吉は、醍醐寺三宝院で贅を尽くした花見を行いました。
参加者は豊臣一族に限られた内輪のもの。愛息・秀頼、正妻・北政所、側室・淀殿ら側室が数名の参加でした。
桜が咲き誇る山内には、趣向を凝らした茶屋が立ち並び、食事や茶を供しました。
写真は秀吉が花見を催した醍醐寺の桜です。毎年4月10日には、太閤花見行列が行われます。
===3/15、その他の出来事===
<歴史>
★1371年、琵琶法師覚一、口述筆記させた平曲を弟子定一に譲与(覚一本「平家物語」)
★1598年、豊臣秀吉、京都醍醐寺三宝院で贅をつくした花見を行う
★1633年、黒田騒動に将軍徳川家光が直裁
★1895年、平安神宮創建
<命日>
★川路聖謨(幕臣。1868年没)
★堀口大学(詩人、1981年没)
<誕生日>
★平岩弓枝(作家、1932年生)
★武豊(騎手、1969年生)
2006年03月14日
浅野内匠頭長矩、江戸城中で刃傷。長矩は即日切腹/元禄14(1701)年

元禄14(1701)年3月14日、江戸城松の廊下で浅野内匠頭長矩が、吉良上野介義央に斬りかかり、負傷させました。
原因は賄賂を贈らなかった浅野に吉良が嫌がらせを続けたからとか、赤穂塩と吉良塩の塩争いなどが挙げられていますが、真相は謎。
喧嘩両成敗のはずなのに、浅野は即日切腹を命ぜられた上にお家取り潰しになったのに対し、吉良にはおとがめなしでした。
これに憤った大石内蔵助ら浅野家家臣達は、敵討ちの計画を立てたのでした。
写真は山科にある浅野家の菩提寺・瑞光院の浅野内匠頭の墓です。
===3/14、その他の出来事===
<歴史>
★800年、富士山、大噴火
★1735年、江戸幕府、産物調査に諸藩の協力要請
★1868年、五箇条の誓文出される
★1873年、国際結婚、許可される
<命日>
★三浦梅園(哲学者、1789年没)
★浅野内匠頭長矩(赤穂藩主・1701年没)
<誕生日>
★片岡孝夫(歌舞伎役者、1944年生)
★栗原小巻(女優、1945年生)
★五木ひろし(歌手、1948年生)
<行事>
★涅槃会(東福寺・泉涌寺~16日)
2006年03月13日
平忠盛、初めて昇殿を許される/天承2(1132)年3月13日

天承2(1132)年、平忠盛が武士としては初めて内裏昇殿が許されました。
前日、落慶供養が行われた白河千体観音堂の造営寄進をした功績が認められたもの。
忠盛は、正盛の長男で、白河天皇の寵を得て、出世し、正四位上、播磨、伊勢、備前の国司を歴任。
写真は忠盛の出世のきっかけになった八坂神社境内にある忠盛灯篭です。白河上皇が寵愛する祇園女御の所に通う途中、化け物に遭いましたが、お供の忠盛が化け物の正体を灯篭に火をつけようとした法師と見破りました。
上皇は忠盛の冷静さを褒め称え、褒美として祇園女御を賜りました。この時、彼女(実際は妹だったとも)は妊娠していてその子が清盛だったと『平家物語』は伝えています。清盛の父はいったい誰だったのでしょうか?
===3/13、その他の出来事===
<歴史>
★902年、延喜の荘園整理令出される
★1578年、上杉謙信、脳溢血で急死する、享年49歳
★1863年、清河八郎ら浪士組、江戸へ帰る。近藤・土方・井上ら井上兄と酒宴。
★1868年、江戸城総攻撃回避のため西郷隆盛と勝海舟、膝詰め談判
<誕生日>
★高村光太郎(彫刻家・詩人、1883年生)
★吉永小百合(女優、1945年生)
<行事>
★虚空蔵十三まいり(嵐山・法輪寺)
★春日大社春日祭(奈良)
2006年03月12日
日曜を休日とする通達が出される/明治9(1876)年3月12日
明治9(1876)年3月12日、官庁を日曜定休、土曜半休とする通達が出されました。
それまでは1日と16日が休日でしたが、それを改め、欧米風の休日制度を導入したものです。土曜が半ドンと呼ばれるのは、正午の時報に皇居で空砲がドンと打たれるからとも、オランダ語で日曜日をドンタクと呼ぶからとも言われています。
この休日制度は明治9年4月から実施されました。
===3/12、その他の出来事===
<歴史>
★1195年、東大寺再建供養に頼朝も参列
★1718年、広島藩領で一揆
★1869年、明治天皇、歴代で初めて伊勢神宮参拝
★1920年、尼港事件、起きる
<命日>
★伊藤仁斎(儒学者、1705年没)
<誕生日>
★銀色夏生(作家、1960年生)
2006年03月11日
源頼朝、伊豆に流される/永暦元(1160)年3月11日

永暦元(1160)年3月11日、平治の乱で破れ、父・義朝と東国へ敗走中にはぐれ、平家方に捕らわれていた源頼朝の処分が決まりました。本来なら殺されるところを、清盛の継母・池禅尼の助命により、伊豆の蛭ケ小島に流されることになりました。
蛭ケ小島は狩野川の中州にあり、平家方の北条氏の居館の近く。清盛は、北条氏に頼朝を監視させ、読経に明け暮れさせる考え。しかし、源氏の嫡流だけに期待も大きく、後に頼朝は挙兵することになります。
なお、弟の今若・乙若・牛若も母・常盤の助命によって助けられ、寺に預けられることになりました。
写真は蛭ケ小島の頼朝&政子像です。
===3/11、その他の出来事===
<歴史>
★1582年、甲斐の覇者、武田氏滅びる
★1633年、継飛脚の制度が出来る
★1643年、田畑の永代売買禁止される
<命日>
★後村上天皇(1368年没)
★上杉治憲(米沢藩主、1822年没)
<誕生日>
★梅宮辰夫(俳優、1938年生)
2006年03月10日
応天門、炎上/貞観8(866)年3月10日

貞観8(866)年閏3月10日、平安京・朝堂院の正門である応天門が突然炎上しました。
火は、応天門のみならず、門の東西に立つ棲鳳楼と翔鸞楼をも焼き尽くしました。
この事件は放火の疑いが持たれ、大納言伴善男は左大臣源信の仕業と主張しましたが、同年8月、子供の喧嘩から、真犯人は伴善男父子とされ、伴父子は流罪にされました。
この事件で一番得をしたのが、事件の処理に当たった藤原良房だとされます。彼は伴氏ら有力なライバルを退け、清和天皇の摂政となり力を持ちました。
写真は平安京大極殿跡碑です。
<歴史>
★700年、僧・道昭、日本で初めて火葬される
★710年、元明天皇、平城京に遷都、
★1378年、足利義満、「花の御所」に移る
★1855年、初の国産西洋型帆船が完成
★1872年、第一回京都博覧会が知恩院、本願寺などで開催
<命日>
★本多正純(徳川家康側近、1637年没)
★幣原喜重郎(政治家、1951年没)
★萬屋錦之助(俳優、1997年没、享年64歳)
<誕生日>
★松田聖子(歌手、1962年生)
★藤谷美和子(女優、1963年生)
<祭り>
★芸能上達祈願祭(京都・法輪寺)
2006年03月09日
山岡鉄舟、江戸無血開城の大役を果たす/慶応4(1868)年3月9日
慶応4(1868)年、3月9日、幕臣山岡鉄舟は、駿府城の西郷隆盛と面会し、徳川慶喜の処分と江戸城明け渡しについて話し合いました。山岡は、旧幕府内の主戦論者を押さえた勝海舟から、西郷との予備折衝を託されていました。
この話し合いにより、江戸城は無血開城されることになり、江戸は戦火から免れることになりました。
===3/9、その他の出来事===
<歴史>
★1483年、大内氏、伊勢参りの土産禁止
★1607年、興国寺藩主天野康景、改易へ
★1735年、青木昆陽、甘藷の栽培に成功
★1855年、福沢諭吉、蘭方医緒方洪庵の適塾に入塾
★1873年、行幸の通路の礼法、定まる
<誕生日>
★木梨憲武(タレント、1962年生)
2006年03月08日
忠犬ハチ公、死す/昭和10(1935)年3月8日

昭和10(1935)年3月8日、渋谷の駅前で、亡くなった主人を11年間待ち続けた秋田犬のハチが死亡しました。享年推定13歳。
ハチは東大農学部の上野英三郎教授の愛犬で、毎日駅までの送り迎えが日課となっていました。しかし、教授は急逝。
それからもハチ公は1日も欠かすことなく、渋谷駅へ向かい、教授の帰りを待っていました。
忠犬ハチ公の話は全国に広まっており、既に銅像も建てられ、翌月には除幕式が行われました。
ハチ公はやっと、天国で上野教授と11年ぶりの再会を果たしたかもしれません。
===3/8、その他の出来事===
<歴史>
★702年、朝廷、度量衡を全国で統一
★1652年、庄内藩、藩士の「出張休日」を導入
★1692年、東大寺大仏開眼供養
★1891年、東京にロシア教会「ニコライ堂」が完成
<命日>
★大原幽学(農民指導者、1858年没)
<誕生日>
★宮尾すすむ(タレント、1934年生)
2006年03月07日
推古女帝死す/628年3月7日
628年、日本最初の女帝・推古天皇が亡くなりました。享年75歳。
欽明天皇の第三皇女で母は蘇我稲目の娘。本名炊屋姫。容姿端麗であったと言われています。敏達天皇の皇后となり、592年、崇峻天皇が暗殺されると、推されて即位。
聖徳太子を摂政とし、冠位十二階の設定、十七条の憲法、国史の編纂などを行いました。
墓は大阪南河内郡磯長山田陵。息子の竹田皇子と共に眠っています。
===3/7、その他の出来事===
<歴史>
★674年、対馬国、初の国内産の銀を献上
★999年、駿河国、富士山噴火を報告
★1332年、後醍醐天皇、隠岐へ配流
★1805年、ロシア使節レザノフに通商拒絶を通知
<命日>
★推古天皇(628年没)
★鳩山一郎(政治家、1959年没)
2006年03月06日
永仁の徳政令出る/永仁5(1297)年3月6日
永仁5年3月6日、鎌倉幕府が徳政令を出しました。元寇の莫大な戦費負担や相続による所得分割などで御家人の没落が相次ぐ中、御家人の救済を目的として出されました。
徳政令の内容は、御家人の所領の質入、売買の禁止、売却、質流れになった所領の無償変換、債権、債務に関する訴訟の不受理、越訴の廃止となっています。
===3/6、その他の出来事===
<歴史>
★803年、坂上田村麻呂、斯波城築城へ
★1177年、源為朝、伊豆大島で自害
★1337年、新田義貞、越前金ヶ崎で敗北
<命日>
★菊池寛(作家、1948年没、享年60歳)
★荒畑寒村(社会主義者、1981年没)
<誕生日>
★春風亭小朝(落語家、1955年生)
★田中健(俳優、1951年生)
2006年03月05日
大奥年寄絵島、遠流/正徳4(1714)年3月5日
正徳4(1714)年、江戸城大奥の年寄・絵島に信州高遠への遠流の沙汰が下りました。度重なる外泊と役者・生島新五郎との関係が罪に問われたものです。
絵島の仕える月光院と側用人間部詮房の独裁を牽制する譜代幕藩の処置とも言われています。
===3/5、その他の出来事===
<歴史>
★1121年、藤原忠通、関白に就任
★1580年、織田信長、本願寺と和睦
★1908年、日本初の「ミス日本」決まる
<命日>
★岸田国士(劇作家、1954年没)
2006年03月04日
将軍家茂、上洛。二条城に入る/文久3(1863)年3月4日

文久3(1863)年3月4日、14代将軍・徳川家茂が上洛し、二条城に入りました。当初、海路を上洛の予定でしたが、イギリス軍艦の行動を警戒して陸路での上洛となりました。征夷大将軍の上洛は、三代家光以来229年ぶりのことでした。
二条城に入った家茂に、朝廷より直ちに「庶政委任」の勅が下されましたが、2日後に「場合によっては朝廷が直接勅命を下すこともある」との条件付委任に変更されてしまいました。これは、事実上、幕府への全権委任を否定されたもの。
家茂は政権の委任を受けるため上洛したというのに、目的がついえてしまいました。
家持は11日の孝明天皇の賀茂神社行幸に「供奉」することになり、将軍家の面目は丸つぶれとなってしまいました。
写真は家茂が滞在した二条城です。
===3/4、その他の出来事===
<歴史>
★1191年、鎌倉で大火、鶴岡八幡宮炎上
★1771年、杉田玄白ら腑分けに立ち会う。
★1837年、天保の飢饉の救済策実施
<命日>
★服部之総(歴史学者、1956年没)
★有田八郎(外交官、1965年没)
<誕生日>
★中条きよし(俳優、1946年生)
★佐野史郎(俳優、1655年生)
★浅野温子(女優、1961年生)
2006年03月03日
桜田門外の変。大老・井伊直弼暗殺される。/安政7(1860)年3月3日
安政7(1860)年3月3日、大老井伊直弼が、江戸城桜田門外で水戸藩士らに暗殺されました。享年46歳。
直弼は2年前に大老に就任するや、開国を断行。反対派の藩士を大弾圧(安政の大獄)したことで恨みを買っていました。
3月3日は節句の賀詞言上のため、直弼が必ず登城する日。水戸藩士達はこれを確認したうえで凶行に及びました。
鉄砲を合図に左右から直弼の駕籠を狙い急襲しました。警護の彦根藩士達は大雪のため、柄袋で刀を覆っている、これが仇となって抜刀が遅れました。
暗殺した藩士達の多くは自害。又は処刑されました。
直弼の死によって、幕政は以後混迷が続きました。
===3/3、その他の出来事===
<歴史>
★939年、源経基、平将門の謀反を訴える
★1854年、ペリーと日本側代表団、日米和親条約調印を結ぶ
★1860年、桜田門外で井伊直弼、暗殺される
★1877年、西南戦争、政府側の増援来る。西郷軍との決戦は田原坂
<命日>
★織田信秀(武将、1551年没)
★前田利家(武将、1599年没)
<行事>
★流し雛(下鴨神社)
★雛まつり(宝鏡寺)
2006年03月02日
足利尊氏、多々良浜で菊池武敏を破る/建武3(1336)年3月2日
建武3(1336)年、足利尊氏が九州で肥後の菊池武敏と戦い、勝利しました。尊氏は前年の中先代の乱後、後醍醐天皇と対立し、一時は京都を制圧しましたが、後に新田義貞らの反撃によって京を追われ、西に下りました。
途中、光厳天皇の院宣を受け、九州に上陸し、少弐氏、宗像氏の援軍も得て、菊池氏と戦いました。最初、菊池氏が有利でしたが、松浦党が寝返り、尊氏側についたため、勝利しました。この勝ち戦で尊氏は再度上洛を果たし、力を強めていきました。
===3/2、その他の出来事===
<歴史>
★1336年、足利尊氏、多々良浜で菊池武敏を破る
★1840年、「遠山の金さん」遠山景元、北町奉行に抜擢される
★1884年、岡山後楽園、一般に開放
<命日>
★松岡映丘(画家、1938年没)
★相馬黒光(随筆家、1955年没)
<行事>
★関白忌(宇治平等院)
2006年03月01日
新選組、甲陽鎮撫隊として甲府城に向かう/慶応4年(1868)年3月1日
慶応4年(1868)年3月1日、新選組は甲陽鎮撫隊として、鍛冶屋橋の屯所から甲府へ向かって出陣しました。
これを機会に近藤勇は大久保大和、土方歳三は内藤隼人と名を改めました。
これは新選組を体よく江戸から追い払うための勝海舟の策略とも言われています。
甲陽鎮撫隊は近藤や土方の故郷で手厚い歓迎を受け、進軍は亀の歩みでした。その間に新政府軍は早々と甲府に入り甲陽鎮撫隊は大敗を喫することになります。
===3/1、その他の出来事===
<歴史>
★631年、百済王子、日本の人質に
★1587年、豊臣秀吉、島津氏征伐に出発
★1726年、徳川吉宗、オランダ馬術に感激
★1834年、水野忠邦、本丸老中となる
<命日>
★細川晴元(武将、1563年没)
★岡本綺堂(作家、1939年没)
★小林秀雄(文芸評論家、1983年没)
★加藤嘉(俳優、1988年没)
<誕生日>
★峰竜太(俳優、1952年生)
