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2005年12月30日
足利義満、征夷大将軍になる/正平23(1368)年12月30日

1368年、元服したばかりの足利義満が室町幕府征夷大将軍に就任しました。
わずかに11歳。細川頼之が管領として義満の後見に当たりましたが、不満の声も上がっていました。
後に日本を動かすこととなる義満の、幼い門出でした。
写真は義満ゆかりの金閣です。
===12/30、その他の出来事===
<歴史>
★1368年、足利義満、征夷大将軍に
★1391年、山名氏清、「明徳の乱」で討死
★1548年、長尾景虎、春日山城に入る
★1840年、平田篤胤に江戸退去処分
★1927年、上野~浅草間に地下鉄開通、東洋初の近代設備
<命日>
★蜂須賀家政(徳島藩祖、1638年没)
<誕生日>
★開高健(作家、1930年生)
2005年12月29日
紫式部、一条天皇中宮彰子に出仕/寛弘2(1005)年12月29日

寛弘2年12月29日、紫式部が、一条天皇中宮の彰子の元に初出仕しました。(前年、翌年説あり)
式部の執筆していた『源氏物語』の評判が彰子の父・藤原道長の耳に入り出仕を要請されたとも言われています。この時式部33歳。
写真は紫式部の住居跡で『源氏物語』を執筆したと言われる盧山寺の庭です。
===12/29、その他の出来事===
<歴史>
★935年、平将門に都への召喚命令下る
★1566年、家康、姓を徳川に改める
★1841年、為永春水、版木を没収される
<命日>
★南方熊楠(学者、1941年没)
★広沢虎造(浪曲師、1964年没)
<誕生日>
★岸本加代子(女優、1960年生)
紫式部、一条天皇中宮彰子に出仕/寛弘2(1005)年12月29日

寛弘2年12月29日、紫式部が、一条天皇中宮の彰子の元に初出仕しました。(前年、翌年説あり)
式部の執筆していた『源氏物語』の評判が彰子の父・藤原道長の耳に入り出仕を要請されたとも言われています。この時式部33歳。
写真は紫式部の住居跡で『源氏物語』を執筆したと言われる盧山寺の庭です。
===12/29、その他の出来事===
<歴史>
★935年、平将門に都への召喚命令下る
★1566年、家康、姓を徳川に改める
★1841年、為永春水、版木を没収される
<命日>
★南方熊楠(学者、1941年没)
★広沢虎造(浪曲師、1964年没)
<誕生日>
★岸本加代子(女優、1960年生)
2005年12月28日
新選組・野口健司切腹/文久3(1863)年12月28日

文久三年12月28日(27日とも)前川邸の一室で新選組副長助勤で芹沢派の最後の生き残り・野口健司が切腹しました。
原因は近江国の中羽田村の村騒動に巻き込まれたとの説もありますが、恐らく濡れ衣かと思われます。享年20歳。
壬生寺内の壬生塚に介錯を務めた安藤早太郎、同じく水戸派の新見錦の変名と言われる田中伊織らと共に野口の名が刻まれた墓石がありますが、光縁寺の過去帖にもその名が残っています。
過去帖によると、光縁寺に野口の遺体を運んだのは、武田観柳斎と馬越三郎と記されています。
写真は、野口健司が切腹した前川邸の一室の外観です。
===12/28、その他の出来事===
<歴史>
★1180年、平清盛、興福寺を焼き討ち
★1682年、江戸駒込の大円寺から出火、焼死者3500人に及ぶ
★1839年、高野長英に永牢処分
<命日>
★藤原基房(公卿、1230年没)
★今川氏真(武将、1614年没)
★横溝正史(作家、1981年没)
2005年12月27日
源頼朝、落馬する/建久9(1198)年12月27日

建久9年12月27日、源頼朝が落馬して大怪我を負いました。
この日、頼朝は、稲毛重成の亡き妻(北条政子の妹)の供養のため相模川に架けられた橋の落成供養の式典の帰りでした。
頼朝はこの時の怪我が元で、翌年1月13日に死去しています。享年53歳。
写真は蛭ケ小島の頼朝・政子像です。
===12/27、その他の出来事===
<歴史>
★1279年、藤原為氏「続拾遺和歌集」を撰進する
★1559年、本願寺顕如を門跡に列す
★1871年、新紙幣の発行を布告
<命日>
★小野道風(書家 966年没)
★後花園天皇(1470年没)
★椋鳩十(文学者 1987年没)
<誕生日>
★加藤登紀子(歌手 1943年生)
2005年12月26日
持統女帝、夫天武天皇陵に合葬される/大宝3(703)年12月26日

大宝3(703)年、12月26日、前年亡くなった持統女帝が、夫・天武天皇の眠る檜隈大内陵(写真)に葬られました。
女帝の遺体は約1年間の殯の後、飛鳥の岡で、天皇では初の火葬にふされました。
遺骨は金銅製の骨蔵器に入れられ、朱漆塗の棺に入れられた夫・天武の横に葬られました。
天武持統陵は五段築成の八角形墳で、現在は頂上部だけが残されています。
天皇陵で被葬者が特定されている陵は数少ないのですが、ここは、皮肉にも鎌倉時代に盗掘されたことから、天武持統天皇陵と特定されました。
===12/26、その他の出来事===
<歴史>
★753年、中国高僧の鑑真、大宰府に入る
★1159年、平清盛、藤原信頼・源義朝軍を破る
★1173年、六波羅蜜寺、消失
★1871年、東京裁判所が設置される
★1887年、保安条例が公布・施行される
<誕生日>
★徳川家康(徳川幕府初代将軍 1543年生)
★菊池寛(作家 1888年生)
★原田美枝子(女優 1958年生)
<命日>
★和辻哲郎(学者 1960年没)
2005年12月25日
孝明天皇、崩御/慶応2(1866)年12月25日
慶応2年の12月25日、孝明天皇が急逝しました。享年36歳。
数日前から痘瘡を患っていたとも言われていますが、佐幕派の天皇が死去したことで有利となった討幕派による毒殺ではないかとの噂も流れています。
孝明天皇は仁孝天皇の第4皇子。17歳の時即位しました。
外国船の来航に対しては頑なに攘夷を唱え、政権は幕府に委任するという姿勢を貫きました。
この姿勢の延長から、妹和宮の将軍家茂への降嫁を推し進めました。
写真は孝明天皇陵です。
===12/25、その他の出来事===
<歴史>
★1159年、後白河上皇が平清盛らに藤原信頼・源義朝を討つように命ずる
★1644年、幕府、諸大名に国絵図等の作成を命じる
★1720年、下田港を廃し、浦賀港を開く
★1823年、江戸麹町で大火
★1867年、薩摩藩邸、焼き討ちされる
<命日>
★松平定綱(桑名藩主 1651年没)
★与謝蕪村(俳人 1783年没)
★大正天皇(1926年没)
★大岡昇平(作家 1988年没)
<誕生日>
★金子光晴(詩人 1895年生)
★角川博(歌手 1953年生)
2005年12月24日
松平容保、入京/文久2(1862)年12月24日

文久2年12月24日、会津藩主松平容保が、京都守護職として入京しました。
容保ははじめ就任を固辞しましたが、度重なる説得を受け入れ、拝命を決定。
会津藩士約1000名を連れて入京しました。その行列は一里にも及んだと言われています。
写真は会津藩が陣を置いた金戒光明寺です。
===12/24、その他の出来事===
<歴史>
★1656年、吉原、浅草に移転
★1802年、アイヌ人の出稼ぎを禁止する
★1889年、大隈外相、辞任
<命日>
★尼子晴久(武将 1560年、享年47歳)
★高山樗牛(作家 1902年没 享年32歳)
<誕生日>
★阿川弘之(作家 1920年生)
★生島ヒロシ(キャスター 1950年生
2005年12月23日
足利尊氏、天竜寺船を派遣/興国2(1341)年12月23日
1341年、足利尊氏は、天竜寺造営の費用を得るため、元に貿易船を派遣することを決定しました。
天竜寺は、2年前に亡くなった後醍醐天皇の冥福を祈るために天皇が少年時代を過ごした嵯峨野に建てられることになりました。
天竜寺船は翌年の秋に派遣されました。
===12/23、その他の出来事===
<歴史>
★1613年、全国にバテレン追放令公布
★1855年、日蘭和親条約調印
★1948年、東条英機、広田弘毅ら7人のA級戦犯に絞首刑執行
<命日>
★光仁天皇(第49代天皇 781年没)
★木下順庵(儒学者 1698年没)
★細井広沢(儒学者 1735年没)
<誕生日>
★笑福亭鶴瓶(落語家 1951年生)
2005年12月22日
持統太上天皇、死す/大宝2(702)年12月22日

大宝2年12月22日、持統太上天皇が亡くなりました。享年58歳。
持統女帝は鵜野讃良皇女といい、天智天皇(中大兄皇子)と蘇我遠智娘の次女。
父中大兄皇子が大化改新を行った645年にこの世に生を受け、13歳の時、姉太田皇女と共に叔父の大海人皇子に嫁ぎます。
壬申の乱の時は大海人と行軍を共にし、夫が天武天皇として即位すると皇后となりました。
以後、夫と助け政務を執り、天武と息子草壁皇子が亡くなった後は自ら女帝として即位します。
戸籍の作成、日本初の恒久の都・藤原京の建設・律令の発布など、様々な改革に着手。
大宝元年、孫の文武天皇に位を譲った後は初の太上天皇となり、政務を後見しました。
春過ぎて 夏来るらし白妙の 衣干したり 天の香具山 など『万葉集』に首の和歌が収録されています。
死後は、天皇初の火葬にふされ、夫の眠る檜隈大内陵(写真)に葬られました。
===12/22、その他の出来事===
<歴史>
★1572年、三方ヶ原で家康武田勢に惨敗
★1885年、初の内閣発足。初代総理は伊藤博文
<命日>
★小野篁(公卿・文人 852年没)
★本多利明(経世家 1820年没)
★為永春水(戯作者 1843年没)
<誕生日>
★東郷平八郎(海軍元帥 1847年生)
2005年12月21日
後醍醐天皇、密かに吉野へ。/建武3(1336)年12月21日

1336年12月21日、足利尊氏により花山院に幽閉されていた後醍醐天皇が密かに抜け出し、吉野に移りました・
女官の姿に身をやつした天皇は、前日の深夜に花山院を脱出、楠木一族の案内で未明に吉野に移りました。
天皇は政権奪回を狙い、吉野に朝廷を開きました。京都には尊氏が擁立した光明天皇がおり、
これにより、京都と吉野にふたつの朝廷が成立することになりました。
写真は吉水神社の後醍醐天皇玉座の間です。
===12/21、その他の出来事===
<歴史>
★1336年、後醍醐天皇、ひそかに吉野へ、京都と吉野に二つの朝廷
★1399年、大内義弘、堺で討死
★1800年、伊能忠敬、蝦夷地地図を上呈
★1850年、国定忠次、処刑される
★1854年、日露和親条約、調印される
<命日>
★北大路魯山人(書家 1959年没)
<誕生日>
★神田正輝(俳優 1950年生)
★片岡鶴太郎(タレント 1954年生)
<行事>
★しまい弘法(東寺)
2005年12月20日
足利義藤(義輝)、13代将軍となる/1546年12月20日

1546年12月20日、足利義晴の息子・義藤は室町幕府13代将軍に就任します。わずかに11歳。父義春は管領として京都を牛耳っていた細川春元と対立し、京都を追われており、就任式は近江坂本で行われました。
義藤はその後義輝と改名し、京都に戻り、将軍の権威回復を目指し、戦国大名と交渉するなど、精力的に政治活動を行いました。
その一方、剣聖・塚原朴伝と上泉信綱ふたりに師事し、鹿島新当流と新陰流ふたつの流派を修めた剣豪でもありました。
写真は平安女学院駐輪場内にある足利義輝邸跡碑です。将軍となった翌年、義輝は室町のこの地に邸宅を構えます。1565年、三好氏に襲撃されますが、剣豪将軍・義輝は、秘蔵の太刀で敵兵を多数斬り奮戦します。しかし多勢に無勢で最期は切腹。義輝の邸宅も兵火に包まれ消失しました。
===12/19、その他の出来事===
<歴史>
★1614年、大坂の陣、終わる
★1857年、洋式高炉による銑鉄生産成功
★1867年、近藤の負傷に会津藩から見舞金下される。近藤、沖田と共に大坂へ。療養生活に入る。
★1870年、「新律綱領」頒布される
<命日>
★大内義興(武将 1528年没)
★岸田劉生(画家 1929年没 享年39歳)
<誕生日>
★北里柴三郎(細菌学者 1852年生)
2005年12月19日
明徳の乱、始まる/明徳2(1391)年
明徳2年12月19日、山名氏清らが挙兵し、京都に向かいました。山名氏は山陰を拠点に11カ国もの守護職を持ち、「六分の一殿」と呼ばれるほどの権勢を振るっていました。
挙兵の裏には、山名氏の勢力削減を狙う足利義満の挑発があったと言われています。
義満は山名一族の内紛を利用して氏清らを挑発。氏清が挙兵するとただちに細川・大内・畠山氏に命じて討伐させました。京都内野の戦いで氏清は討たれ、義満の思惑通り。山名氏の勢力は削減されました。
===12/19、その他の出来事===
<歴史>
★1586年、秀吉、豊臣の姓を授けられる
★1596年、長崎で26聖人が十字架で磔、キリシタン弾圧下で初の殉職者
<命日>
★千宗旦(茶人 1658年没)
★大岡忠相(幕臣 1751年没)
<誕生日>
★富岡鉄斎(日本画家 1836年生)
2005年12月18日
近藤勇、狙撃される。/慶応4(1867)年12月18日

慶応3年12月18日夕方、新選組局長・近藤勇が伏見街道丹波橋付近で、御陵衛士の残党によって狙撃されました。
弾丸は右肩に当たりましたが、近藤は馬に乗って伏見奉行所に駆け込み、命に別状はありませんでした。
近藤は二条城登城の帰り。警護に当たっていた隊士の井上新左衛門、馬丁の芳介は討死しました。
襲撃側の御陵衛士の残党は、この日早朝に近藤妾宅で療養中の沖田総司も襲撃していましたが、沖田は伏見に移った後で無事でした。
後日、近藤は沖田と共に、治療のため、大坂に下りました。
写真は、近藤が狙撃されてた伏見街道丹波橋付近です。
===12/18、その他の出来事===
<歴史>
★1199年、梶原景時が鎌倉に追放
★1779年、平賀源内が獄死
★1839年、幕府が渡辺崋山に蟄居、高野長英に永牢を命じる
★1871年、華族・士族の農工商業営業を許可
★1898年、上野公園で高村光雲作の西郷隆盛像の除幕式
<命日>
★保科正之(会津藩祖 1672年没)
★宇田川玄随(蘭学者 1797年没)
<誕生日>
★志賀潔(細菌学者 1871年没)
★布施明(歌手 1947年没)
2005年12月17日
三十三間堂が完成/長寛2(1164)年12月17日

長寛2(1164)年、12月17日、後白河法皇の発願によって、平清盛が造営した蓮華王院が完成、落慶法要が盛大に行われました。
本堂の内陣の柱の間数が33あることから、三十三間堂、又は千体の千手観音像を安置することから、「法住寺殿千体観音堂」とも呼ばれることになります。
造営費を負担した平清盛は備前国を賜りました。
現在の三十三間堂(写真)は、文永3(1266)年に再建されたものです。
===12/17、その他の出来事===
<歴史>
★1208年、運慶、興福寺北円堂の造像を開始
★1394年、足利義満、九歳の義持に将軍職を譲り、太政大臣に
★1632年、大目付が設置される、大名、旗本のどの行状を監視するため
★1864年、天狗党、越前新保で降伏
★1880年、最後の仇討ち事件起きる
<命日>
★東山天皇(1709年没 享年35歳)
<誕生日>
★牧瀬里穂(女優・1971年生)
2005年12月16日
新選組、伏見奉行所に着陣/慶応3(1867)年12月16日

慶応3年12月16日、新選組は、伏見奉行所に着陣しました。2日前に一旦は大坂に下ったものの、京坂を結ぶ街道と水運のある交通の要衝・伏見まで戻り、役人達たちが退き空家となった伏見奉行所に陣を置きました。
伏見の町を警備するために着陣した新選組ですが、翌年1月3日は鳥羽伏見の戦いが勃発。伏見奉行所にいたのはわずか半月の期間にすぎませんでした。
写真は、桃陵団地前の伏見奉行所跡碑です。
===12/16、その他の出来事===
<歴史>
★1841年、歌舞伎の江戸三座に立退き命令、聖天町(浅草猿若町)に移転
★1864年、高杉晋作、下関で挙兵、各階層からの志願兵、続々と結集
★1901年、イギリス公使ら講道館を訪問、嘉納治五郎が直々に柔道の解説
<命日>
★藤原定子(皇后 1000年没、享年25歳)
★双葉山定次(横綱 1968年没)
<誕生日>
★森田健作(タレント 1949年生)
★山下慎司(俳優 1951年生)
★松山千春(歌手 1955年生)
2005年12月15日
空海、綜芸種智院を開く/天長5(828)年12月15日

806年12月15日、唐から帰国し、真言宗を開いた空海が京都の九条に「綜芸種智院」という私設学校を開きました。
身分の上下、貧富の差を問わず、庶民を対象に仏教・儒教・道教などを教える。
日本初の一般向けの学校となりました。
綜芸種智院は、東寺(写真)の東隣に建てられました。
===12/15、その他の出来事===
<歴史>
★939年、平将門、新皇を称する
★1609年、デウス号事件おこる
★1645年、江戸大火で吉原遊郭などが焼失する
<命日>
★歌川国貞(浮世絵師 1864年没)
<誕生日>
★細川俊之(俳優 1940年生)
★立松和平(作家 1947年生)
2005年12月14日
赤穂浪士、吉良邸に討ち入り/元禄15(1702)年12月14日

元禄15年12月14日深夜、江戸本所の旗本・吉良上野介邸に大石内蔵助率いる赤穂浪士が討ち入り、吉良を討ち果たしました。
前年の三月十四日に江戸城内で浪士の主君浅野内匠頭と吉良が刃傷沙汰を起した時、喧嘩両成敗とならず、浅野のみが切腹、赤穂藩は取り潰し、吉良にはお咎めなしでした。
浪士達はこの時の主君・浅野内匠頭の敵討ちを果たした形となります。「義士」達の行動は武士の鑑としてたたえられましたが、許可なき騒乱は幕法違反で、彼らは全員「切腹」となりました。
写真は山科の瑞光院にある浅野内師頭の墓です。大石の手によって浅野の短刀と衣冠が埋められたと伝えられ、浪士達は墓参りの度に敵討ちの秘策を練っていたと言われています。
===12/14、その他の出来事===
<歴史>
★1171年、平清盛の次女・徳子、幼帝高倉天皇に嫁ぐ
★1570年、織田信長、勅令を求めて浅井・朝倉と和睦
<誕生日>
★にしきのあきら(歌手 1948年生)
★世良正則(歌手 1955年生)
<祭り>
★義士祭(大石神社、泉岳寺etc)
2005年12月13日
新選組、二条城の警護を命ぜられるも水戸藩と対立/慶応3(1867)年12月13日

慶応3年12月13日、新選組は、会津、桑名両藩と共に、慶喜の去った二条城の警護を幕閣から命ぜられました。
しかし、慶喜から直接警護を任ぜられた水戸藩と鉢合わせてしまいました。近藤は、協力して警護をすることを申し出ましたが、拒否されてしまいました。
幕閣の永井尚志らの説得も功をなさず、新選組は城を出ることに。
この日、新選組は「新遊撃隊御雇」の新名称を付けることを申し渡されましたが、島田魁は日記の中で「新遊撃隊の名を断り、元の新選組を名乗った」と記しています。
写真は二条城です。
===12/13、その他の出来事===
<歴史>
★1782年、大黒屋光太夫遭難
★1841年、江戸幕府、株仲間解散令を発表
★1902年、哲学館事件おこる
★1937年、日本軍、中国の南京を占領
<命日>
★藤原通憲(公家 1159年没)
★織田有楽斎(茶人 1621年没)
★中江兆民(民権思想家 1901年没)
<誕生日>
★仲代達矢(俳優 1932年生)
★樋口可南子(女優 1958年生)
★織田裕二(俳優 1967年生)
2005年12月12日
高杉晋作ら長州藩攘夷派志士、イギリス公使館を焼き討ちする/文久2(1862)年12月12日

文久2年12月12日、江戸の御殿山に建設中のイギリス公使館が、長州藩の尊王攘夷派の志士の焼き討ちに遭い、全焼しました。
焼き討ちに加わったのは、高杉晋作、久坂玄瑞、志道聞多(井上馨)、伊藤俊輔(博文)ら、江戸滞在中の長州藩士12名。
彼らは御盾隊を名乗り、竣工前の公使館に火薬を仕掛けて火を放ちました。
8月に起きた生麦事件、前年の東禅寺事件など、英国をめぐった攘夷事件が度々起きています。英国からの対日要求と、朝廷からの攘夷の催促の板ばさみの形になり、幕府は窮地に立たされました。
写真は、下関の高杉晋作像です。
===12/12、その他の出来事===
<歴史>
★1568年、武田・徳川軍が今川氏攻め
★1656年、林羅山、最後の奉公で将軍家綱に「大学」を進講
★1867年、徳川慶喜が大坂入城
<命日>
★田河水泡(漫画家 1989年没))
★小津安二郎(映画監督 1963年没)
<誕生日>
★福沢諭吉(思想家 1834年生)
2005年12月11日
山城国一揆が起こる/文明17(1485)年12月11日
1485年12月、南山城の国人らが、応仁の乱以来戦いを続ける畠山政長、義就両軍に対し、宇治川以北への即時撤退を要求しました。
畠山軍に田畑を荒らされた地元民の怒りは大きく、国人達は、三ケ条の掟を定め、守護による支配を拒否。事実上の自治宣言を行いました。
===12/11、その他の出来事===
<歴史>
★1335年、箱根竹下の戦いで、新田義貞、足利尊氏・直義軍に敗北
★1485年、山城国一揆、畠山軍の撤退を要求
★1651年、徳川幕府、末期養子を認可
<命日>
★沢庵和尚(臨済僧・1645年没)
<誕生日>
★加賀まりこ(女優 1943年生)
★谷村新司(歌手 1948年生)
★原由子(歌手 1956年生)
2005年12月10日
千葉周作、死す。/安政2(1855)年12月10日
安政2(1855)年、12月10日、幕末の剣客で北辰一刀流の開祖・千葉周作が亡くなりました。享年62歳。
千葉は陸奥栗原郡の出身で、幼くして北辰無刀流の剣客だった父より剣を学び、後に、小野派一刀流浅利又七郎に剣術を学び、独立して、江戸・神田・お玉が池に北辰一刀流の道場・玄武館を開きました。
門人には坂本龍馬、清河八郎、山南敬助ら錚々たる面々がいます。
===12/10、その他の出来事===
<歴史>
★702年、東山道が開かれる
★1186年、源頼朝、天野遠景を鎮西九国奉行に任命
★1901年、田中正造、足尾銅山鉱毒被害の救済で天皇に直訴
★1968年、東京、府中で三億円強奪事件発生
<命日>
★大山厳(軍人 1916年没)
<誕生日>
★寺山修司(劇作家・1935年生)
★坂本九(歌手・1941年生)
★桂文珍(落語家・1948年生)
★佐藤浩市(俳優・1960年生)
2005年12月09日
王政復古の大号令/慶応3(1867)年12月9日
慶応3年12月9日、大政奉還を受け、倒幕派の岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允らは、徳川家から政権の一掃を狙った王政復古の大号令を発しました。
大号令の内容は、将軍慶喜の大政返上と将軍職辞退、摂政・関白・及び幕府の廃絶と三職(総裁・議定・参与)の設置、天皇親政の実施。
これにより、朝廷・旧幕府・雄藩連合による合議制度は否定され、旧幕派の権力保持は完全に閉ざされてしまいました。
対抗手段は武力しかなく、鳥羽伏見の戦いにつながってゆくのです。
===12/8、その他の出来事===
<歴史>
★1159年、平治の乱起こる。
★1189年、源頼朝、義経、泰衡らの霊を弔うため、永福寺建立へ
★1321年、後醍醐天皇、親政を始める
★1835年、仙石騒動に決着、出石藩家老と仙石左京に獄門
<命日>
★夏目漱石(作家 1916年没)
★開高健(作家 1989年没)
<行事>
★鳴滝大根だき(了徳寺)
2005年12月08日
北条時宗が円覚寺を創建。/弘安5(1282)年

弘安5年12月8日、鎌倉幕府8代執権・北条時宗が円覚寺を創建しました。
文永・弘安の役で犠牲となった日本・蒙古、双方の戦没者の霊を追悼することを目的としていました。
時宗に招かれて来日した禅僧・無学祖元が開山として迎えられました。
写真は時宗の創建した円覚寺です。
===12/8、その他の出来事===
<歴史>
★689年、持統天皇、双六を禁止に
★1143年、京都六角堂、焼失
★1349年、足利直義、出家
★1358年、足利義詮二代将軍に就任
★1606年、江戸幕府、永楽銭を通用禁止
★1694年、将軍綱吉の側用人柳沢保明、老中格となる
★1941年、太平洋戦争、開戦
<命日>
★山村暮鳥(詩人 1924年没)
★山本権兵衛(首相・海軍大将 1933年没)
<誕生日>
★和久井映見(女優・1970年生)
<行事>
★針供養(関西・九州)
2005年12月07日
天満屋事件、起こる。/慶応3(1867)年12月7日

慶応3年12月7日の雪の夜、油小路花屋町の旅籠天満屋に滞在していた紀州藩公用方・三浦休太郎を土佐の陸奥陽之助ら海援隊・陸援隊士、十津川郷士中井庄五郎らが襲撃しました。
三浦の警護には斎藤一改め山口次郎、大石鍬次郎ら新選組が当たっていました。海援隊・陸援隊士は、三浦を、坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺の黒幕と思い込み、襲撃したもの。
「三浦を討ち取ったぞ!」という声を上げた新選組側の機転により三浦は助かりましたが、襲撃側からは中井が、新選組からは近藤勇の親戚の宮川信吉が討死にしました。
写真は雪のちらつく油小路花屋町の天満屋跡碑です。
===12/7、その他の出来事===
<歴史>
★1722年、徳川吉宗、小石川に養生所開設
★1867年、幕府、兵庫港を開港、大坂も開市
★1944年、東南海地震で死傷者約四千人
<命日>
★元明天皇(43代天皇 721年没)
★佐野常民(日本赤十字事業創立者 1902年没)
★川上貞奴(女優 1946年没)
<誕生日>
★西郷隆盛(政治家 1827年生)
★与謝野晶子(歌人 1878年生)
2005年12月06日
持統天皇、藤原京に遷都/694年12月6日

694年12月6日、持統女帝は藤原京に遷都しました。
藤原京の特徴は、中国の都城方式を導入した碁盤の目状の町並みにあります。
今までは天皇の代替わり毎に遷都していましたが、これからは数代に渡り使われることになります。
写真は藤原宮跡碑です。
===12/6、その他の出来事===
<歴史>
★1720年、近松門左衛門の新作「心中天網島」竹本座で初演
★1839年、水野忠邦、老中首座になる
<命日>
★徳川光圀(水戸藩主 1700年没)
<誕生日>
★宍戸錠(俳優 1933年生)
2005年12月05日
一橋慶喜、15代将軍に就任。/慶応2(1866)年12月5日
慶応2年12月5日、病没した徳川家茂の後をうけ、一橋慶喜が15代将軍に任じられました。
慶喜は水戸藩主斉昭の七男。一橋家を継ぎ、14代将軍候補となりますが、井伊直弼に疎まれ、一時謹慎していました。
その後、将軍後見職となり、禁門の変では禁裏御守衛総督として縛軍を率いるなど、京坂の指導的役割を果たしてきました。
慶喜は既に軍制面での改革に着手、幕府存亡の時、期待は大きかったのですが、1年後には大政奉還をすることになります。
===12/5、その他の出来事===
<歴史>
★603年、冠位十二階、定まる
★1125年、京都大火で五条坊門から二条河原まで延焼
★1535年、松平清康、謀反に死す
★1704年、甲府綱豊、将軍後継に決定
★1858年、長州藩、吉田松陰を再投獄
★1860年、アメリカ通訳ヒュースケン異人斬りに遭い、絶命
★1904年、日本軍,二百三高地を占領、ロシア旅順要塞陥落近し
<命日>
★鴻池新右衛門(豪商 1650年没)
★竹内式部(尊王家 1767年没)
<誕生日>
★篠田三郎(俳優 1948年生)
★小林幸子(歌手 1953年生)
2005年12月04日
藤原道長、死す。/万寿4(1027)年12月4日
1027年12月4日、摂政・藤原道長がこの世を去りました。享年62歳。
彰子、妍子、威子、嬉子と4人の娘を天皇に嫁がせ、ゆるぎない栄華を誇り、摂関政治の最盛期を築きました。
1018年、太政大臣を辞し、翌年出家、その後、娘の嬉子、妍子を次々に亡くし、自身も糖尿病の悪化と背中に出来た腫れ物に苦しみ、心身共に衰弱していたということです。臨終に際して、自ら建てた法成寺の阿弥陀堂に籠もり、九体の仏に見守られながら逝ったとされています。
===12/4、その他の出来事===
<歴史>
★678年、飛鳥、山田寺に丈六仏建立
★1027年、摂政、藤原道長、逝く
★1807年、幕府天文方・高橋景保、世界地図作成を命じられる
★1888年、香川県、愛媛県から独立
★1890年、北里柴三郎、破傷風とジフテリアの治療法を確立
<命日>
★清和天皇(880年没)
★中島敦(作家 1942年没、享年34歳)
2005年12月03日
天智天皇、崩御。/671年12月3日
671年、12月3日、近江大津宮で天智天皇が崩御しました。享年46歳。
天皇は中大兄皇子時代に大化改新を断行。天皇即位後も官位制、防人の設置、戸籍制度、漏刻の設置など、様々なことを成し遂げました。
天皇ははじめ、後事を弟の大海人皇子に託しましたが、大海人は吉野に隠遁。息子の大友皇子が後を継ぐことになりました。
天智天皇の陵は、後に山科に造営されました。
写真は天智天皇の命で作られた漏刻(水時計)の跡・水落遺跡です。
<歴史>
★1587年、豊臣秀吉、関東・奥羽惣無事令を出す
★1637年、島原・天草の一揆勢、原城址に入城、幕府、十余万の大軍で討伐へ
★1872年、太陽暦採用。明治5年12月3日が明治6年1月1日に。
<命日>
★国友藤兵衛(鉄砲鍛冶、1840年没)
★前原一誠(長州藩士 1876年没)
<誕生日>
★永井荷風(作家 1879年生)
★池田勇人(政治家 1899年生)
★篠山紀信(写真家 1940年生)
2005年12月02日
源頼朝、鎌倉~京都間の飛脚を七日行程と決める。/文治3(1187)年
源頼朝は、鎌倉と京都を結ぶ通信の連絡方法として文治元(1185)年、に「駅路の法」を定めました。
宿に人夫や馬を常駐させて、早馬や飛脚を走らせるというものでした。 この飛脚のことを「鎌倉飛脚」とか「六波羅飛脚」と呼びました。
頼朝は2年後の文治3(1187)年12月2日、鎌倉~京都の飛脚を七日行程と定めました。
===12/2、その他の出来事===
<歴史>
★1187年、源頼朝、鎌倉~京都間の飛脚を七日行程と定める。
★1218年、源実朝、右大臣となる
★1854年、ロシア海軍提督プチャーチン乗船のディアナ号、駿河沖で沈没
★1872年、太陽暦採用で今日が大晦日
<命日>
★細川忠興(武将 1645年没)
★沢村栄治(野球選手 1944年没)
★岩崎小弥太(実業家 1945年没)
<誕生日>
★高峰三枝子(女優 1936年生)
2005年12月01日
空海、『三教指帰』を著す。/延暦16(797)年12月1日

延暦16年、空海が『三教指帰』を上梓しました。
これは、儒教、道教、仏教の 三教を比べた本で、釈迦(仏教)は、老子(道教)、孔子(儒教)に優るという比較思想論。
空海は京の大学で役人になるため学んでいたが、中退し出家。後に仏教を学ぶため、渡唐しました。
写真は空海ゆかりの東寺の五重塔です。
===12/1、その他の出来事===
<歴史>
★797年、空海「三教指帰」を著す
★1684年、江戸幕府、天文方を創設
★1797年、湯島の聖堂、昌平坂学問所に改称
★1930年、お子様ランチ、初登場
★1958年、聖徳太子の一万円札登場
<命日>
★柴野栗山(儒者 1807年没)
★藤田幽谷(水戸学者 1826年没)
★海音寺潮五郎(作家 1977年没)
<誕生日>
★秋吉敏子(ピアニスト 1929年生)
★根津甚八(俳優 1947年生)
<祭り>
★北野献茶祭(北野天満宮)
