2005年06月30日
夏越祓・茅の輪くぐり

上賀茂神社、貴船神社、北野天満宮、城南宮など京都市内の各神社では1年の折り返し地点に当たる6月30日、半年間の罪や穢れを祓い清めるため、夏越祓が行われます。
茅で作った大きな輪をくぐる茅の輪くぐりや罪穢れを託した人形を流す行事が行われます。
写真は上賀茂神社の茅の輪くぐりの風景です。
投稿者 kyotox : 00:01
2005年06月29日
南観音山「うちのお宝」展

祇園祭・南観音山「うちのお宝」展が室町錦上ル明倫芸術センターにて7月3日まで開催中です。
毎年山鉾巡行のトリをつとめ、宵山の日のあばれ観音など個性的な行事も行われる南観音山のお宝を祭りの前に是非ごらんあれ!
投稿者 kyotox : 19:45
2005年06月08日
御陵衛士屯所、高台寺月真院へ移転。/慶応3年

慶応3年6月8日、伊東甲子太郎を頭とする御陵衛士が屯所を五条の善立寺から高台寺塔頭月真院に移転しました。月真院は椿と萩の名所。
門前に「禁裏御陵衛士屯所」の表札を掲げました。
御陵衛士達は月真院の2階で寝起きしていましたが、階段はなく、縄梯子をつけて上り下りしていたそうです。
部屋は狭く、一人一畳程度しかスペースがなかったものと思われます。
写真は月真院で伊東甲子太郎以外の御陵衛士が寝起きしていた部屋です。
月真院は去年の8月上旬まで宿坊をしていましたが、残念ながら現在は宿泊も拝観も不可となっています。
投稿者 kyotox : 13:23
2005年06月07日
祇園会山鉾巡行、復活/明応9(1500)年

明応9(1500)年6月7日、応仁の乱以降中断していた祇園会の山鉾巡行が約30年ぶりに復活しました。
山鉾の数は応仁の乱以前の58基より半減しましたが、民衆の情熱に後押しされ、復活が決定しました。
巡行の先頭の長刀鉾以外の順番争いが激しいため、この時からくじ引きが導入され、現在に至ります。
写真は毎年先頭を行く長刀鉾です。
投稿者 kyotox : 13:22
2005年06月06日
元軍、志賀島に再来/弘安4(1281)年

弘安4(1281)年6月6日、博多湾の志賀島に元軍が再び来襲しました。文永の役以来7年ぶり。
前回の戦いを教訓に、鎌倉幕府は石塁を築くなど、防備に務めてきました。元軍の勢力は14万の大軍でしたが、疫病の流行、暴風雨、そして石塁の効果もあり、結局撤退することとなりました。
写真は志賀島の石碑です。
===6月6日、その他の出来事===
★1896年、黒田清輝ら、白馬会結成。
★1964年、日本サッカーリーグ発足。
投稿者 kyotox : 13:21
2005年06月05日
池田屋騒動、起こる/元治元(1864)年

元治元(1864)年6月5日、夜、新選組は三条小橋の旅籠・池田屋を襲撃。早朝に捕縛された古高俊太郎奪還や京都を火の海にする計画を話し合っていた尊攘派浪士と斬り合いになりました。
この戦闘で浪士側は肥後の宮部鼎蔵ら多数の死傷者を出しました。長州の吉田稔麿は藩邸に助けを求めに行きましたが、門を閉められ自刃。桂小五郎は事前に逃れて無事でした。新選組側も奥沢栄助が即死。ほか二名も重傷を負い、後に死亡しました。藤堂平助は額を着られ重傷。沖田総司は戦闘中に血を吐いて昏倒したと言われています。
不逞浪士の陰謀を未然に防いだことから、この事件をきっかけに、新選組の名が一躍有名になりました。
写真は池田屋騒動跡のプレートです。
===6/5、その他の出来事===
1247年、北条時頼、三浦一族を討伐。(宝治合戦)
1942年、ミッドウェー海戦で日本軍大敗。
投稿者 kyotox : 13:19
2005年06月04日
ロシア軍艦艦長・ゴローニン捉えられる/文化8(1811)年
文化8(1811)年6月4日、国後島に上陸し、測量を行っていたロシア軍艦ディアナ号艦長・ゴローニンとその部下達が、松前奉行によって捕らえられました。ゴローニンは世界周航の途中でした。
ゴローニンらはその後、投獄され、その時の様子を『日本幽囚記』という書物に記しました。
===6/4、その他の出来事===
★1583年、羽柴秀吉、毛利方と講和。清水宗治切腹。
★1928年、張作霖、爆殺される。
投稿者 kyotox : 13:17
2005年06月03日
ペリー艦隊、浦賀に来航。/嘉永6(1853)年

嘉永6(1853)年6月3日朝、アメリカの軍艦4隻が伊豆半島沖に姿を現し、夕刻、浦賀に到着しました。
艦長のペリーはアメリカ大統領の親書を将軍に渡すことを望んでいました。
この4隻の軍艦は、かつて南蛮船が黒く塗られていたことから「黒船」と呼ばれ、目にした人々は大混乱に陥りました。
ペリーはこの時は一年の猶予を求められて一旦退去しましたが、翌年再来日し、日米和親条約を締結しました。
投稿者 kyotox : 13:15
2005年06月02日
本能寺の変、起こる/天正10(1582)年
天正10(1582)年、織田信長が明智光秀に本能寺で襲われました。信長は、前月末に上洛し、本能寺を宿舎としていましたが、森蘭丸ら小姓衆などわずかな供しか連れていませんでした。
本能寺は瞬く間に業火に包まれ、信長は自刃。二条御所に籠もっていた信長の嫡男・信忠も自刃に追い込まれました。
光秀は13日に羽柴秀吉と山崎で戦って破れ、敗走の途中で小栗栖で土民の竹槍に刺され殺されました。
写真は蛸薬師油小路下ルの本能寺跡碑です。当時の本能寺は現在とは異なった場所にありました。

===6/2、その他の出来事===
888年、藤原基経、関白におさまる。
1180年、平清盛、福原遷都を断行。
投稿者 kyotox : 12:52
